梁川町 (Yanagawamachi-saiwaichō)
梁川町(やながわまち)は、福島県伊達郡にあった町である. 2006年1月1日、同じ伊達郡の伊達町、保原町、霊山町、月舘町と合併し、伊達市となった.
福島県北東部、伊達郡最北部に位置していた. 西は福島県伊達郡国見町、保原町、南は同じく伊達郡霊山町(りょうぜんまち)、東は宮城県伊具郡丸森町、北は宮城県白石市に接し、人口20,326人(平成17年10月1日)、面積82.93平方キロメートル. ほぼ中央を阿武隈川(あぶくまがわ)と広瀬川が流れ、国道349号、阿武隈急行線(第三セクター)が通る.
昭和29年に旧梁川町が東大枝村と合併し、昭和30年に五十沢(いさざわ)村、富野村、山舟生(やまふにゅう)村、白根村、粟野村、堰本(せきもと)村と合併し、最終的な梁川町の形になる. なお、旧大枝村は一度東大枝村と西大枝村に分離し、一度はどちらも国見町と合併したが、昭和29年に「大字東大枝」は梁川町に移っている. 2005年の時点で、大枝地区は東西が2つの町に分離していたが小学校は中心集落に1つしかなく、梁川町と国見町の共同運営(学校組合)というめずらしい形態であった.
なお、中心集落である梁川の地名は、阿武隈川または広瀬川が鮭の良好な漁場で簗が築かれていたことに由来するという. 古くは簗川と表記したが、正徳元年(1711年)に、初代梁川藩主の松平義昌(尾張徳川氏系)が、簗川を梁川に改めた.
福島県北東部、伊達郡最北部に位置していた. 西は福島県伊達郡国見町、保原町、南は同じく伊達郡霊山町(りょうぜんまち)、東は宮城県伊具郡丸森町、北は宮城県白石市に接し、人口20,326人(平成17年10月1日)、面積82.93平方キロメートル. ほぼ中央を阿武隈川(あぶくまがわ)と広瀬川が流れ、国道349号、阿武隈急行線(第三セクター)が通る.
昭和29年に旧梁川町が東大枝村と合併し、昭和30年に五十沢(いさざわ)村、富野村、山舟生(やまふにゅう)村、白根村、粟野村、堰本(せきもと)村と合併し、最終的な梁川町の形になる. なお、旧大枝村は一度東大枝村と西大枝村に分離し、一度はどちらも国見町と合併したが、昭和29年に「大字東大枝」は梁川町に移っている. 2005年の時点で、大枝地区は東西が2つの町に分離していたが小学校は中心集落に1つしかなく、梁川町と国見町の共同運営(学校組合)というめずらしい形態であった.
なお、中心集落である梁川の地名は、阿武隈川または広瀬川が鮭の良好な漁場で簗が築かれていたことに由来するという. 古くは簗川と表記したが、正徳元年(1711年)に、初代梁川藩主の松平義昌(尾張徳川氏系)が、簗川を梁川に改めた.
地図 - 梁川町 (Yanagawamachi-saiwaichō)
地図
国 - 日本
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日本の国旗 |
全長3500キロメートル以上にわたる国土は、主に日本列島 および千島列島・南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などの弧状列島により構成され 、大部分が温帯に属するが、北部や島嶼部では亜寒帯や熱帯の地域がある. 地形は起伏に富み、火山地・丘陵を含む山地の面積は国土の約75%を占め 、沿岸の平野部に人口が集中している. 国内には行政区分として47の都道府県があり、日本人(大和民族・琉球民族・アイヌ民族 ・外国系の人々)と外国人が居住し、日本語を通用する.